THINKING事始め

本記を始めようと思ったきっかけは、以前から徒然にぼんやりと考えていたことをまとめておこうかと思っていたところ、ピタゴラス的展開、あるいは地動説に相当するような衝撃的な文章に遭遇したことです。


昨年あたりまでだったか、哲学者の永井均氏が日本経済新聞に連載記事を書かれていて、それは、〈私〉が永井均であるのは全くの偶然であり‥‥という前提? で延々と議論が展開されていました。(読んだ当初は)何を言っているのかよく分からなかった、‥‥というかこの人は大丈夫なのか、と。しかし日経新聞が採用するくらいなので、まあまともなのだろうと思って、氏の一連の著書を拝読しました。


実は、8年くらい前に、氏の著書の中の1冊「なぜ意識は実在しないのか」を読んでいたのですが、特に印象に残ったという記憶はありませんでした。その頃は、ずっと以前から気になっていた、やがて訪れる自分の消滅(=死)への恐怖が日増しに実感されていて、それへの対処、というか何とかならないかという藁をも掴む気持ちで、最新の科学、哲学ほか、これまで人間が到達したあらゆる知恵を借り、まずは時間論に関するもの、また脳科学関係、宇宙論など無闇に手探りの状態が続き、そしてまったく方向が見えなかったのですが、今回、氏の著作をあらためて読んでみて、上記衝撃とともにまったく新しい突破口・その先へ続く道が見つかったのではないか、と、大いなる興味が湧きました。

簡単に言うと、それまでは、自分の死=自分の身体の消滅、であり、いわゆる「自分」=自分の身体(一心同体?)、あるいは、「自分」はその身体内に「拘束」されていてその身体の消滅と運命を共にする、ということが疑いのない大前提として、すべての(思考、あるいは妄想の)出発点になっていたのが、その呪縛が解けた(のではないか)ということです。


まだまだ、ほんのきっかけ、突破口らしきものでしかないのですが、このあと進むべき暗闇に微かな導きの明かりが灯ったように思います。残された時間は少ないものの、しかしまだまだ十分THINKING可能だと思わるので、少しずつ歩を進めていきたいと。




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語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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