死んだらどうなるか、自分で決めよう① ~とりあえず編~

本カテゴリーで、「不死の理屈~藁をも掴む悪足掻き」と題し投稿して以降、このテーマに関連してつらつらと考えてきたことを、とりあえず今の段階で整理し書き記すことにします。

なお、掲題は、昨年9月に発行された、橋爪大三郎著「死の講義 -死んだらどうなるか、自分で決めなさい」を半分いただいたものです。

以下、「私」とはこの投稿の筆者です。(深い意味はありません。)


まず、この問いと、(筆者が今考えている)答えから。

①人は死ぬのか? ➡これまで多くの人が死にましたが、まだ世界には70億人ほど死んでいない人がいるので、すべての人が死ぬのかは(よく)わかりません。が、(根拠はわかりませんが)これからもおそらく死んでいくと思います。

②私は死ぬのか? ➡まだ死んでいない70憶人のうちの一人と見ると、おそらく死んでいくと思います。


①は、これまでそうだったからといって、これからもそうと決まるのか、という混ぜっ返しを抑えつつ‥‥。

②は、その前提に立たない場合が考えられ、その場合、死んだ前例がないので何とも言えません。

①②とも、まだ死んでいないという例があることをどう考えるのか、がポイントのようです。


次に、

③人が死んだらどうなるか? ➡次第に腐敗してゆく。

④私が死んだらどうなるか? ➡私以外から見ると③の回答のとおり。私から見ると、何しろ判断する主体である私が死ぬ(=消滅する)のですから分かりません。


③は、意識がなくなるとか、魂が残るとかいろいろ想像できそうですが、あくまで私から見たままだけを記します。あえて付け加えるなら、「それ以外は分からない」です。

しかし、問い①②で人または私は死ぬということを受けての設問には違いありません。

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さて、準備は整いました。本稿のタイトルに反し、「死んだら」の前段階である「死ぬのか否か」をまず考えるのが順序のようです。まだ生きている人がいずれ死ぬのか、また私は私以外の生きている人と同じに扱っていいのか等、なかなか難解な議論になりそうです。

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