本当に夢を見る&本当に死ぬのは〈私〉だけ~独在性から

これから少し、永井氏の独在性から展開?できる(と思われる)ことをいくつか記します。


まず、氏の著作等でよく出てくる、「殴られると本当に痛い、本当に見えている、本当に考えている etc, ‥‥のは〈私〉だけ」という表現に倣って、

①本当に夢を見る

②本当に死ぬ

を付け加えたいと思います。

まず、①は、殴られると痛い、見えている、とどこが違うのか。よく「夢は現実ではないとどうしてわかるのか」という哲学的?議論がなされますが、それ以前にこちらの問題のほうがはるかに重要だと思われます。もちろん、①を前提にして夢と現実の違いを考えるのもいいのですが、そんなことよりも、夢を見ないで眠っているとき〈私〉はどうなっているのか、ということに俄然興味が湧きます。これに対し、「その間は〈私〉は存在しない」との答は、〈私〉以外から(「私」を)見た答で、それはそれで構いません。(問:〈私〉が死んだらどうなる→答:「私」は消滅する、と同じです。)

しかし、〈私〉は「起きている→夢を見ている→起きている→‥‥」というのが、本当のところでは。つまり、「夢を見ないで眠っている」状態は〈私〉にはない(この表記の意味はなかなか難しく、〈私〉の世界には存在しないという意味)ということです。もちろん〈私〉以外から(=一般的、常識的に)見ると、「起きている→眠っている(夢を見たり見なかったり)→起きている」となりますが。

そうなると、夢と現実の違いはともかく、〈私〉は「覚醒(=現実?)→夢→覚醒→‥‥」と途切れなく(死ぬまで?)続いていくことになります。

以前電車内で座って本を読んでいたときに、その本の内容が急に別の内容に変わり、何か変だなと思ったところで目が覚めたという経験がありました。また、クルマの中で仮眠中に、乗っているそのクルマを運転している(or 恐ろしいことにその運転中寝ていて起きなければいけないと藻掻いている)夢を見た経験もあります。なので、あまり夢と現実の区別を付ける興味はなく、どちらも〈私〉が経験することだと。そして寝る前にはこれからどんな経験をするのだろうと思うことにしています。


さて、②です。

これは大変です。いう言葉がありません。本当にそうか、とも思えます。

逆に今思いついたことですが、②を反対側から表現して

② 本当に生きている

ではどうでしょうか。実は、これは永井独在論の他人の定義?である、「他人はみんなゾンビ」と同じことになるのか。

あまりに難しいので、これはまた後で考えます。



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