心身論は同じこと~唯物論教

以前、死んだらどうなるというテーマでいくつか投稿しましたが、その最後の方で、自分(の存在)のよりどころがないと人間は耐えられない、特に死んだ後にそのことが先鋭化するので、そのよりどころが心(魂)なのか物質なのかの違いにすぎない、と書きました(と思います)。それを粉砕したのが、永井独在論ではあるのですが。

唯物論の場合、ビッグバン前やビッグクランチ後を考えると、暗澹たる?気持ちに。一方、魂が残ってもやはりビッグバン前やビッグクランチ後を考えると、やはり独自に「魂」理学みたいなものを考えないと整合しないだろうなと。カントの二律背反は今でも解決されないままのような。

当方自身について現在はどうかと言えば、独在論はそのとおりだが、(まだ)唯物論に傾いていて、独在論と併せた「独在的唯物論」~前々投稿、同じだけれど別のもの~に一縷の望みをつないでいる状態、と言えばいいか。これはまだ、唯物論教の一種にすぎないのかもしれませんが。

C5552's Ownd

語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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