物差しの二面性?~おカネと光の不思議
昔から分からない&今も分からないことのひとつに、おカネの二面性があります。おカネはモノやサービスの価値を定める物差しの側面と、通貨や金のように価値そのものを持つ(とされる)側面があるということ。前者は大昔から物々交換(交換の時点でその価値を交換=消費)の前提としてあり、後者はその価値を交換時に消費せず一旦保留するツールとしての貝殻や石や金などに化体していた、と理解されます。
後者の、価値を化体されたものを最初に交換する(使う)場合を考えてみます。貝殻を例にとると、貝殻を手に入れるための労力等と、貝殻と交換して手に入れる他のもの(食料など)の価値が釣り合っているはず(でないと、交換が成立しない)です。貝殻だとあまりに安価なので大量に必要だとかの細かいことは置いておいて、いわゆる「貨幣」として使われてきた諸物はおなじ理屈だと思います。
さて、現在では、各国通貨とも、金銀などとの兌換が廃止され、金銀等の裏付けがないため、中央銀行が輪転機で印刷すればいくらでもおカネを増やせる、などと言われますが、分からないのがこのあたりです。まず、輪転機で印刷したおカネ(というのも古臭い感じですが)を最初に使うのはだれか。中央銀行なのか。政府なのか。中央銀行は使うというより他の銀行に貸し出すのか。いずれにせよ、貨幣価値に比べ印刷代と紙代は微々たるものでしょうから、その差額?は中央銀行(or政府)のものになるのか。
これはシニョリッジという問題として、経済学で論じられていますが、政府・中央銀行はそんなにむやみ勝手におカネを使わないだろうという信頼の上に成り立っているような気がします。
ところで、これと同様の、哲学的にははるかに興味深いことがもう一つあります。それは、光です。
光は、それ自体でエネルギーを持つ実体ですが、今では光の速度は長さ等の計量の基準となっていて、物理的な物差しとして位置付けられています。しかし、光速とは、「光が進む距離÷それに要する時間」なので、ここも論点先取り(距離を測るのにすでに光速を使っている)の疑いが。そして、ここにも時間が登場しますが、本稿で何度もいっているように、時間そのものについては全然わかっていないので、結局やはり時間というよくわからないものを前提にしてすべてが成り立っていることに。
光速度一定という観測事実については、それから様々なことが導けるので興味深いのですが、もっと大元のところの土台(=時間)が??な状態では何だかなあ、ではあります。
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