「動き」は表せるか

前投稿の続きです。(前々々投稿~マクタガートと会計学~の続きでもあります。)

動画を静止画で表す(前投稿)、同じ1点に静的なものと動的なものが共存する(前々々投稿)、について考えてみると、いずれも微分の発想~2点をとって、時間と位置についてその差を測り、割り算を行い(Δx/Δt)、その極限を考える~に基いています。つまり、時間のある1点(=時刻)を出発点にし、そこから動いた後をもう1点と考えてその差について考えていることに変わりはない。結局、動きを考えるのに論点先取りになっているのでは。

それよりも、時間のある1点とは‥‥。

時間をどこかで区切ればその切り口が時刻、これは、直線を切断すれば切り口?は点である、ということのアナロジーなのか。

そもそも時間は区切れるのか。

そう考えると、動きを静止しているもので表すのではなく、静止しているものを動きで表す(のが不可能)、ということに逆転するのでは。


さらに次投稿で、動きを出発点にする場合を考えてみたいと思います。



なお、B系列とは、時間の順序ではなく「出来事」の順序であり、出来事はそれが要する時間が必要なので、ある1点(=時刻)を考える必要はありませんが。


C5552's Ownd

語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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