「持続する」にはその背景・舞台が必要?

前投稿で、「私以外から見た」について次の投稿で書く予定でしたが、その前に難しいテーマである「持続」について。

3つ前の投稿の、存在するにはその背景・舞台が不可欠‥‥をさらに展開し、そこに時間性をもたせて考えます。しかし、時間とは何かそもそも分からない中で時間性をもたせるといっても‥‥。

〈私〉は私の誕生も死も「観察」できません。しかし、私(の持続?)を私以外から観察すると、その誕生から死までとりあえず記録できるように思います。しかしそれを、私は誕生から死まで持続したと言えるのかは分かりませんが、ともかく私の誕生から死まで(それを持続とするかはともかく)は、私以外を背景・舞台とすることによって記録されます。

では、〈私〉(の持続)の記録をするには? その(記録の)背景・舞台は何か?

これはもう、〈私〉が背景・舞台であるとしか言うしかないのでは。

これは再び、永井独在論へ進むことになりそうなので、一旦置いておいて。


それでは、もとに戻って、「私以外から見た」について、次投稿を。

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