これぞ弁証法?

少々前のことですが、植村恒一郎氏の、カルチャーセンターでのリアル(=対面)講義に行ってきました。「タイムパラドックス」とは何か? と題しての時間論の話です。

話の内容はともかく(!?) その中で再び、「永井均の〈 〉はインチキだ」と。植村氏のこの主張は以前から聞いていますが、最近、永井氏自身、〈 〉は実在しないと言っており、何故か見事に主張が一致する(ように見える)?

このことについて考えてみます。何も永井氏が主張を変えたわけではなく、


          私は実在する ←(対立)→ 私は実在しない


という対立は、実は


     身体としての私は物的には実在する ← → 心的な私は物的には実在しない


という解消に持ち込まれる当然のことではないのかな。これぞ弁証法的真理?

しかし、心的な私=〈私〉と雑にまとめてしまうのは誤解を招くでしょうから、この先のさらに詳細な検討は必要でしょう。



C5552's Ownd

語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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