これぞ弁証法?
少々前のことですが、植村恒一郎氏の、カルチャーセンターでのリアル(=対面)講義に行ってきました。「タイムパラドックス」とは何か? と題しての時間論の話です。
話の内容はともかく(!?) その中で再び、「永井均の〈 〉はインチキだ」と。植村氏のこの主張は以前から聞いていますが、最近、永井氏自身、〈 〉は実在しないと言っており、何故か見事に主張が一致する(ように見える)?
このことについて考えてみます。何も永井氏が主張を変えたわけではなく、
私は実在する ←(対立)→ 私は実在しない
という対立は、実は
身体としての私は物的には実在する ← → 心的な私は物的には実在しない
という解消に持ち込まれる当然のことではないのかな。これぞ弁証法的真理?
しかし、心的な私=〈私〉と雑にまとめてしまうのは誤解を招くでしょうから、この先のさらに詳細な検討は必要でしょう。
0コメント