不死の理屈~藁をも掴む悪足掻き

本カテゴリー最初の、THINKING事始め投稿で、迫りくる死の実感云々を記しましたが、それに対処するために、これまでいろいろ屁理屈的なことを考えました。半ば冗談で、半ば真剣に(本当にこうであればいいがと)。


■実例なし説

これまで死んだのはすべて他人。私(自身)が死んだことは一度もない。よって、本当に死ぬかどうかわからない。というのは死んだ実例がないので(かなり無理はあります)。


■平均余命残存説

何歳になっても、その年齢の平均余命はゼロではない(何歳まで平均余命が算出されているのかわかりませんが)。従って、実際に何歳に到達したとしても、その時点の平均余命があるので死なない(ちょっと苦しいですが)。あたかも、ZENONの逆理のアキレスと亀のように、アキレスが亀のいた場所にたどり着くと、前地点からそこまでにアキレスが要した時間分だけ亀も前進していて永遠に追いつけないが如く。


■永劫回帰?説

今後十分に長い時間が経過するうちに、全宇宙の原子配列状態が現在と全く同じに再現される可能性はあり、それが実現した時はまさに現状(現在)が再現されたのと同じこと(=生き返り)なので、永遠に死に続けるということはない(かなり苦しい)。


最後に、最新にして有力な新説が登場しました。件の永井氏の考えを発展? させて、〈私〉はまったく偶然にこの身体に宿って? いる(だけ)、よってその身体の消滅が必ずしも〈私〉の消滅を意味しない。

これは他の説と違ってかなり明るさが見えます?

また、永井氏も、自分(の身体)が全く同じもの2つに分裂した場合、片方が〈私〉ならもう片方は〈私〉ではない‥‥といった思考実験を展開されていて(このあたりは付いて行くのに苦労しますが)、その希望の灯が微かに明るさを増すようにも思われます。

このように、現実性を離れていろいろ空想を発展させていると、そもそもの出発点である切迫感がどこかへ行ってしまい、それはそれで結構なことなのかとも。と、またお茶を濁して本稿終了。

C5552's Ownd

語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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