欧州行備忘録② (2002/9/21~29)

第2回は、第1回の翌年の同じ日に出発、同じ日に帰国。WIENをベースに今度は北へ向かって、J.S.BACHゆかりの地などドイツ各地を巡りました。

■第2回

9/21 関空 → WIEN    

  19:30~ LONDON  SYMPHONY  ORCHESTORA@MUSIKVEREIN GROSSAR SAAL         (泊)AM  SCHUBERTRING

9/22 WIEN 816→(EC28  JOSEPH  HAYDN)→1230 REGENSBURG → NUERNBERG → BAMBERG  (泊)

9/23 BAMBERG 1308→(ICE1518  WETTERSTEIN)→1545 LEIPZIG  (泊)MERCURE

9/24 LEIPZIG 1322→(ICE1558  MAX  BECKMANN)→1457 EISENACH 1658→(ICE1556  JOHANN  SEBASTIAN  BACH)→1743 FULDA → WUERZBURUG  (泊)(多分)WUERZBURGER  HOF

9/25 WUERZBURG 1328→(ICE787  STEIGERWALD)→1612 MUENCHEN     19:00~ FALSTAFF@BAYERISCHE STAATSOPER  (泊)

9/26 MUENCHEN 1625→(EC65 MOZART)→2120 WIEN   (泊)AMADEUS

9/27 (WIEN滞在)  19:00~ DIE  ZAUBERFLOETE@VOLKSOPER  (泊)同上

9/28 WIEN →

9/29 → 関空


WIEN初日のコンサートは、MUSIKVEREINのGROSSAR  SAALで大編成オーケストラの響きを堪能。BRUCKNERの交響曲第4番、チケットには座席はPODIUMと表示されていて、どこなのかよく分かりませんでしたが、何とオーケストラのすぐ後ろ、すぐ前にはトロンボーン奏者が! これには緊張しました。絶対に居眠りはできないなと。指揮者はBERNHARD HAITINK、レコードでしか聴いたことのない、指揮者、オーケストラ、ホールの組み合わせ!

翌日からは、ドイツの各都市を巡回。最初の途中下車地のREGENSBURGを尋ねた目的はというと、高校の社会科の地図でドナウ川沿いに連なる街を見ていたとき、この街の名の意味が「雨の城」であることを知り、地形的に推測してドナウ川の狭い谷間にひっそりとたたずむ陰鬱な雨の多い街ではないかと、何故か気になっていたためです(なんとくだらない)。実際は平地の落ち着いた街でした。ドナウ川に架かる橋は観光スポットになっていました。

次の途中下車地のNUERNBERGともども、街の中心広場に面して教会と市庁舎が建つというのは共通で(これ以外のヨーロッパの各都市もだいたい同じ?)、駅から広場や教会(出入り自由)を往復して、食事の時間が取れない(レストランに入る時間がない)ので駅でパンや飲み物を買って車内で食べる、といった繰り返しでした。

BAMBERGは、著名なオーケストラがあったのと、燻したビールが名物の古都とのことで、ここに宿泊。

そして、LEIPZIG。J.S.BACHゆかりのトーマス教会や市庁舎、博物館、広場で開いていた市場など、市内を歩き回ったが、旧東ドイツの街なので何となく荒れた感じが漂っていました。

翌日はいよいよBACHの生誕地のEISENACHです。BEETHOVENやMOZARTほど、その曲に親しんでいるわけでもないためか、当地の印象も濃くありません。のんびりした(退屈な?)この地から出歩くこともなく、淡々と職人BACHは教会音楽を作り続けたのかと。

その後はFULDAからはドイツ国鉄自慢の超特急で時速280km/hの旅を楽しみ(たしかこの速度での運転区間に踏切があったのでは。少し記憶が不確かですが)、WUERZBURGで泊まって(博物館では、第2次大戦の空襲で市街地の8割が焼かれたとの説明が)、MUENCHENに辿りつきました。

その夜は、BAYERISCHE STAATSOPERにて、WAGNERのオペラ、FALSTAFFを。この時のために、日本を出る前にCDを買って予習したのですが‥‥。

有名なOCTOBER  FESTの期間中で、ホテルの宿泊料の相場が3倍くらいになっており、しかも治安があまり良くないエリアにあったため、オペラ終了後(午後11時くらい)は絶対にタクシーで戻って来なければ、と緊張した記憶。

翌日、MUENCHENのレジデンツ博物館の係員のおばさんに、どこから来たのかと訊かれて、VIENNAと英語で答えると、”WIE~~N!” と、きっちりドイツ語で発音しろとばかりに諭された(と思います)記憶が、何故か鮮明に残ってます。

そして、WIENに戻るのは、また特急MOZART号でした。

WIEN最後の夜は、VOLKSOPERでMOZARTの魔笛を。国立歌劇場と対照的に、少し街はずれにあるこじんまりとした劇場で、日本人スタッフがいて久しぶりに日本語で会話が。


C5552's Ownd

語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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