「本当に~なのは〈私〉だけ」ではないもの

ここまで、「本当に見える(感じる、考える‥‥)のは〈私〉だけ」について書いてきましたが、逆にそうではないものについて考えたいと思います。

この「本当に‥‥」は、感覚や知覚や思考全般について当てはまるわけですが、それでは私と私以外が同じもの・ことを見(聞き、考え‥‥)ている場合、その見え方(聞こえ方、考え方?‥‥)、いわゆるクオリアが各人同じなのかは決して分かりません。

しかし、例外があります。例えば、1+1の答えを考えてみると、〈私〉であろうとだれであろうと間違わないでしょう。(もちろん、2以外の答え、例えば漢数字で二(弐)とか、英語でtwoとか、二進法で10とか‥‥も、その意味(言わんとするところ)としては正解になり、「2」以外(の意味)の答えはすべて誤りに。)

1が歪んで見える、赤色に見えるとしても‥‥です。

そのほかの例外としては、ピタゴラスの定理やフェルマーの定理などの数学の定理(だれにとっても?成り立つ)が思いつきますが、それら以外に何があるのかはまだ考え切れていません。



C5552's Ownd

語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない

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